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。 これは,あることについてのストーリーを知りたいのであれば,本や映画で済ませたほうが,断片的になることもなく素直に吸収できるからだそうだ。例えば,BioWareの「バルダーズゲート」シリーズやION Stormの「Deus Ex」のような旧式の語り方では,プレイヤーは途中でストーリーについていけなくなってしまうのではないか,と苦言を呈する。 村のNPC達や,落ちているスクロールに書かれた長文でゲーム世界の背景にある物語までをすべて説明しようとするのは,「ゲーマーがどこまで興味を持続できるか」という観点で見た場合,あまりにも安易な仕掛けではないか? そのような疑問やジレンマはRolston氏自身も常に持っているようで,自分なりの答えとして提示したのが「マップを物語の主人公にする」という,Morrowindで見せた発想の転換だったという。 一言で言えば,Rolston氏のナレーティブ論法は,「説明」ではなく「印象」である。 例えば,Morrowindにはドワーフ達が高度な文明を印象付ける遺跡を残したままいなくなったという設定があり,その遺跡もマップ中に存在するが,ゲームの中ではドワーフ達が滅亡(逃亡?)した理由について,深く語られることはない。しかし,プレイヤーがその遺跡を探索したとき,「ああ,ここでドワーフ達が歩き回っていたという過去があるのだ」と歴史を肌で感じる,つまり“印象”を持つことで,DQ10 RMT,プレイヤーは各自自分なりのストーリー感を持つに至るというわけだ。 ゲームの進行と直接的に関連しない事柄は,「このような不明瞭な説明のほうが効果的なはずだ」とRolston氏は力説する。 確かに,でもというOblivionのプレイ日記風の連載を掲載していたが,ドラクエ10 RMT,決まった道筋もない広大な世界を,気の赴くままに楽しむというゲームシステムだからこそ,日記スタイルで解説するのが適していたともいえるだろう。 オープンエンドなゲームでは,プレイヤーの印象によって世界観もまったく違ったものになり,そのどれもが正しい。小説や映画とは異なり,プレイヤー主導型のストーリーが,それぞれのプレイヤーによって展開されるというわけだ。 Rolston氏はセッションの終盤,ゲームは好きでも剣や魔法を使ってモンスターを追い回すという根本的なコンセプトに対し,冷めた目で見つめるプレイヤーの大多数を「Pilgrims」(巡礼者)と表現。そして,このようなPilgrimsにこそ,言葉で説明するより個々のイメージに即した印象付けをさせることが重要であると説いている
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